22世紀の東京をデザインしよう
『水と緑の回廊で囲まれた美しい街』/東京マスタープラン22

 私が長く住んでいたミュンヘンはとてもエレガントで美しい街です。街の中心部にはかつての旧市街の古い味わいを残す部分もありますが、実際、第2次世界大戦の終戦を迎えたときには東京のそれと同じくまっさら、焼け野原であったと聞きました。日本と同じくドイツもリセットするスタートとなったのです。しかし、ミュンヘンはかつての歴史的な背景を捨てようとはしませんでした。ナチの本拠地のあった場所であったにもかかわらずです。いつの時代においてもその過去の恩恵に敬意を払い文化を歴史をつくり続けています。過去のよきものは残し育んでいくという考え方です。終戦前と今あるミュンヘンにある街並みは多かれ少なかれ同じです。昔の建物を再現するところからスタートをしたのです。それは建物だけではありません。敗戦に至っても反省すべきことは貢献にして返しながらも、ドイツ人の本来持つ精神や文化は捨ててはいないのです。その反面、東京はどうでしょうか? 過去を打ち消し、近代化を重んじるあまり多くのものそして素晴らしい思想や精神までも失ってしまっているようにも感じます。東京も無秩序のまま増殖を続けました。面白くても決して美しい街ではないのです。そんな東京は私と寺澤氏の生まれた街でもありました。


丹下健三「東京計画1960」

  私たちが生まれた時代ーこれから日本の近代化が始まろうとしていた1960年、建築家丹下健三氏が、海上都市計画「東 京計画1960」を発表しました。チームには、若かりし磯崎新氏など著名な建築家が名を連ねていました。クリエイターとして、日本の中心である東京がどうあるべきかをビジョンし提案したのです。構想は、急速に工業化が進む中、都市機能を東京湾に延ばす海上都市計画を打ち立てました。しかしこの壮大なビジョン「東京計画1960」は、実現はしませんでした。あれから50年が経ちました。私が注目することはクリエイターとしての『提案する』スタンスと勇気です。たとえ実現しなくても、たとえ理想論だとしても次世代のクリエイターたちに何かを伝えることはできるのです。私自身、この「東京計画1960」を見ることで、50年前の過去の声を聞いたのです。私はもちろん建築家ではありません。しかし社会をよりよくしたいというビジョンを持つクリエイターであることには変わりはないのです。これまでの枠を超えてビジョンを共有していくことは今、最も大切な創造活動ではないでしょうか、ビジョンを『継承』していきたいのです。私たちは50年前の声に耳を傾けました。

東京マスタープラン22


 私たちが今進めているプロジェクトは22世紀の東京のマスタープラン構想です。そしてその目的は『ゼロエミッション東京』です。今では不可能と考えられることも50年、100年あればその多くを可能にできるのです。50−100年後のコンセプトですから、まず私が生きているうちには実現することはないでしょう。もしかすると、夢物語で終わるかもしれません。しかしそれでも構い。クリエイターとして、次世代のクリエイターにメッセージを残したいのです。そしてそんな次世代のクリエイターたちが、日本や東京を考えるきっかけになればいい。もしかしたらそんな彼らが創るかもしれないのです。そんな思いで、22世紀の東京をデザインしようと考えたのです。 このプロジェクトには営利関係を持つクライアントはいません。なぜ、あえて東京にこだわるのかを説明しましょう。私たちが提案するグランドデザインは、ともすれば、アラブのある都市のような何もないところからスタートする方が実現性が高いかもしれません。日本においても、何も人口密度の最も高い東京ではなく、地方都市をデザインした方が、現実味を帯びることでしょう。しかし、たとえ夢物語となろうとも、私たちが東京にこだわる理由は、私たちが生まれた街なのです。そんな東京はもはや現象の街です。そしていろいろな人の思いが混ざり合った欲望の街でもあります。もし、東京をより良く変えることができたのならば、どんな街でもその改善の可能性が広がることでしょう。「あの東京がやるのなら、日本中、いや世界中の都市をより良く変えることができる」と世界中のクリエイターが立ち上がってくれるかもしれません。街を新しくかたち創るには長い時間が必要す。そしてその時間とともに新しい価値観が普及しなければいけないのです。「過去と今、そして未来を結びつけること」私たちはそのビジョンに未来だけを見据える考え方を否定しました。いかに素晴らしい技術の到来があろうとも過去の恩恵を持ち、今を通してつなげていくデザインを心掛けようと考えています。東京の過去をどう解釈できるかです。


22世紀の東京マスタープランにおいてその中心をどこに置くか?

 例えば丹下健三「東京計画1960」ではその構想を東京湾にそのポイントを置きました。当時の近代化の拡大思考を踏まえますと、近代化の進む都心に大きな変革を与えるより自由度の高い海上に都市計画を進める方がより効率的であり他県とのモビリティ構築においても有利であったと思います。ここであげられる大きなポイント はその動線構築にあります。当時はクルマ産業が今のEV以上に普及する勢いでしたからクルマの移動を中心に都市計画をせざるを得ない状況があったように思えます。「東京計画1960」は実現しませんでしたが、違った意味では実現しているのかもしれません。そして今の東京があります。
 私たちはこれ以上加速する東京に限界を感じています。全く自然の流れとは反する方向だと思います。人の営みとは結局のところ、自然の中で育み自然に反することをやり続ければ崩壊を見ることになると思うのです。これは地球の原理であり今必要とされることは発想の転換を伴った暮らしの価値感の見直しであるように感じます。私たちは歴史的背景、都市環境、機能の成り立ちを含めその中心を東京の中心、皇居から考え始めました。そしてそのエリアの仮の規定を、東京全体ではなく、神田川、神田川支流水路、東京湾に囲まれた地域としました。(皇居を中心に半径約2−3kmの範囲)皇居はその日本の成り立ちや歴史的背景においても大きな意味があることとともにこころの中心とも考えられます。また実際この皇居は東京の真ん中にもかかわらず東京でも有数の自然生態の可能な緑化地域でもあるのです。敷地内には昔から変わらない武蔵野の森が残されています。クヌギやコナラなどの落葉樹と鎮守の森に象徴される照葉樹の森です。絶滅が危惧されるオオタカや日本固有の野鳥も繁殖しています。皇居には我々が見ることのない自然と四季が現実にあるのです。私たちは将来この緑を広げることはできないかと考えました。


谷崎潤一郎からのメッセージ|『幇間』に秘められたメッセ−ジを聞く

幇間は別名「太鼓持ち(たいこもち)」、「男芸者」などと言い、また敬意を持って「太夫衆」とも呼ばれtれていました。幇間(ほうかん、たいこ)は、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業。(歴史的には男性の職業)
日本近代文学の巨匠•谷崎潤一郎が『幇間』を『スバル』に発表したのは明治44年のこと、文明開化の進むー江戸から東京へと移り変わる時代のシーンを小説化したものです。芸者衆、幇間、お客を乗せた花見屋形船は神田川から隅田川へ。当時は、川のお堀には多くの桜の群れがあり屋形船に乗って楽しむ様子を残された江戸情緒たっぷりに描かれた作品です。私たちはここに描かれている風情、日本人の本来持ちうる情緒に着目しました。いくら時代が移り変わろうとも日本人として守らなければいけない精神を新しい東京の未来になぞらえることが最も大切なことであると。私たちはハリウッドが描くような未来都市よりも川にゆらりゆらり、ゆっくりと花見ができる。そんな時間を持つことのできる幸せや情緒を美意識のうちに創造の対象にしようと考えています。
「未来の東京をデザインする」これは、私たち日本人の持っている意識,美意識の再生そのものなのだと思います。こんなコンセプトで皆さんも一緒に東京を考え,デザインしていきませんか。





江戸と未来の東京

 私たちは、江戸の持つ風情と動線のあり方に注目しました。江戸の水路を本来の姿に再構築する、水路を復活させるアイデアを持ったのです。そして皇居を取り囲むこの水路の設定が先ほど話しました今回の
想定するエリアのターゲットと定めました。この神田川河川並びに水路周辺をケーススタディするこで、その中心にある皇居からの緑の広がりのコンセプトを中継する考え方です。実際、このマスタープランでは内と外を明確に分けることを避けたいと考えていました。もちろん50年、100年経ってもその多くの建物が残されている可能性も高く、何か内から外へ緑のグラデーションを描きながら都市開発ができないかと考えていたのです。その緑の原点は皇居です。ここから広げていく緑をエリアを囲む水路が受け止め、その外側に広げていく考え方です。そしてその水路と平行したかたちで新しい環状線をEVモビリティに対応した電化道路として設定します。22世紀のポスト首都高の概念です。 戸のDNAを未来の東京に「風情」として伝えたいと考えているのです。もちろん都市と都市を結ぶ高速移動は現状の高速道路が使われる可能性が高くまた今の内燃機関のクルマと環境対応の新しいビークルが混在している状況も考えられます。今回河川、水路周辺の開発を環状線(リング)上に設定したい理由は、これら高速のクルマをリングの外で受け止める大型の駐車スペースを設定し、リング内ではゼロエミッション対応のみの移動を可能にするものです。すなわちリングの外と内では鉄道、地下鉄などの公共移動以外は乗り物が異なる考え方です。(公共移動がリングの外と内の中間的なモビリティの役割を持つことになります)乗り物の動線やスピードにある秩序を持たせたいこととエリア内では可能な限り、クルマ中心ではない緑や公園、学校など人を中心とした暮らしの体系を創造したいと考えています。





首都高速の価値を変える

 まず22世紀の東京のマスタープランを考えるにあたり大きな課題は、首都高速道路(以後、首都高)の考え方です。実際50年後のそのモビリティ状況を考えますと道路自体のコンセプトが電化する 可能性もあり、その状況下での旧型道路では環境問題などの解決方向とはギャップが起きてしまいます。長期的スパンにおいては段階的に現状の都内中心部の首都高速道路を廃止し、新しいコンセプトを持った首都高の動線を築き始めなければいけなくなることが予想されます。
1960年代から建設されてきた首都高ですが、そのレイアウトをあらためて見直すと、計画的に建設してきた形跡は見られません。時代のニーズに応じて、拙速に継ぎ足してきたレイアウトです。この動線が東京を圧迫していると言っても過言ではありません。
 日本は、自動車産業によて経済成長してきた背景があり、急速なモータリーゼーションに追いつけない道路事情を高速道路で穴埋めする感覚で、乱開発されてきました。成り行きの計画で増殖してきたのす。
この首都高のおかげで東京の風情が犠牲になりました。本来、東京は江戸と呼ばれている頃、水路の街でした。神田川や隅田川など、河川を物流や人の移動の動線として有効活用してきました。これは、1650年ごろの東京の地図です。地図にあるように神田川は全川開渠(かいきょ)の自然な河川でした。ところが、神田川および皇居への物資流通水路は地下水路になり、その上に、首都高が建設されました。





環状線/電化首都高速道路

 EVモビリティを前提とした新しい環状線では、電磁誘導で走行しながら充電できるシステムを採用し、エリア内の交通機関は、ゼロエミッションの考えに基づき環境対応型のEV(公共バスを含む)、地下鉄そして水路を用いた水上交通によるものに限定し、従来の内燃機関のクルマはエリア内では走行できません。そして環状線の中には首都高は一切ありません。先ほども触れた鉄道、地下鉄などの中間的な公共交通以外はスピードを抑える方向であり、スローライフやシェアリングの考え方が今回のターゲットの考え方です。エリア内の生活道路においては、整然と区画整理された道路の他に、江戸時代の折れたり曲がった道など街の暮らしに風情を取り入れる仕組みを積極的に取り入れるアイデアを考えています。歴史的な日本の道の作成手法は、「あられ」や「すみわけ」、「ちどりかけ」など、実に50種以上の形態が存在していました。現在でも、六本木の古い住宅街の道に、その名残を見ることができます。私たちは、この江戸のDNAを未来の東京に「風情」として伝えたいと考えているのです。





東京湾PV構想

皇居を中心としたターゲットエリアを0ミッション化するにあたりエネルギー供給をどのようなかたちでもたらすかは大きな課題です。メガソーラーなど大型PVを設置することはスペース,レイアウト的にも都心内では困難です。そこで今回のアイディアは、1960年発表の丹下健三氏ー東京湾計画の発想を用いて,湾の埋立地にメガソーラー、湾内に振動、騒音を解消できる風力発電を設置する構想を適用させています。また都心では例えばメガソーラーを山手線上に設置し(ソーラーサークル)、都心の心臓となる動線並びにその周辺の暮らしのエネルギーを供給するアイディア等を模索しています。





Mobility|日本の伝統手法からのアプローチ

日本の近代化は便利であることが合理化の基盤になりました。しかしその合理化も統一されたヴィジョンに基づくものではなくここの利益に基づいたすなわち非文化的なアプローチとなって成長して来た様に思われます。しかしこのような近代化の背景で失われたものは街、そして暮らしの中の風情や情緒です。本来、日本の文化構成はこの風情や情緒的な美意識の中で育まれてきました。江戸の街のデザインをみると、あえて不便さを取り入れたレイアウトや敵からの直接的な攻撃から街を守る為の工夫等さまざまなところで見ることができます。このような街の構成は江戸の人にとってさまざまな暮らしの体系をつくり、それが風情や情緒と言った香りすなわち文化的な領域まで進展させたのです。私たちはこのプロジェクトを通して東京に新たな文化的価値を蘇らせたいと考えています。


シェアリングライフ

急激な近代化は都市の暮らしの中のコミュニティを奪い取ってしまいました。都会暮らしは隣の人がどんな人がいてどんな生活をしているのかなど関係ありません。といってプライバシーが確保されたとも言えない社会。例えば江戸時代の民衆の長屋生活は、共同生活という暮らしのコミュニティの原型を生み出しました。その生活とは所有することではなく分け合う生活とも言えます。現代社会は豊かさの解釈に大きな誤解を生んだとも言えます。所有すること、維持することが暮らしの安定と考えるようになりました。そんな考え方は行き過ぎるとすべて人間のエゴや傲慢さに繋がっていきます。といってこれまでつくって来た暮らしや社会をすべて否定することはできません。私たちは今のくらしの中で無くしてしまった、もしくは忘れている意識を人と分け合う暮らしの中に創造していこうと考えています。シェアリングライフです。自然との共存を意識し,生態を伴い、人があまり出しゃばらない様また人と人が分かち合える意識としての暮らし体系です。それは都会が失ってしまった人と人のつながりです。こんな発想をくらし、仕事、エネルギーに至る様々な領域でコンセプト展開をはかっていきます。





TOKYO22の断面コンセプト

TOKYO22の断面コンセプトは,神田川とかつての水路に沿って都市機能を持たせた集合住宅、商業施設、オフィス街等を,連続した丘陵の中に環状していくコンセプトです。今回仮設定されたエリアは飯田橋と市ヶ谷の間の構想図。グレーの部分は21世紀型の街並み、右のグリーンエリアが22世紀型の新東京コンセプト。





『水と緑の回廊で囲まれた美しい街』ゼロミッション東京

22世紀の東京マスタープランでは、高層ビルはでてきません。効率的な丘陵地に収められた構造が住宅やオフィスなどさまざまな機能を連続的に結びつけるデザインの中で育みたい。そこでは多くの共用空間を持ち、所有ではなく分け合うシェアリングライフを育むことができないかとも考えています。『ゼロミッション東京』を創ることは電化を伴った新しい暮らしと人が本来持ちえるプリミティブな感覚を融合させたコンセプトで展開しています。この壮大なプロジェクトはまだまだ始まったばかりですが暮らしの多くの価値観
や発想を変えていけば緑の東京の多くのことが可能になるのです。そしてこのような考え方は、今を生きる我々だけではない未来の子どもたちへのメッセージになるのです。過去の声を聞き、今を通して未来へ伝える思いです。





丘陵の持つ風情をデザイン化する構想

 かつて東京は水路の街としての性格と、丘陵地としての性格も多く、起伏に富んだ街でもありました。しかし近代化とともにその多くがフラット化しました。丘陵地の動線は都市機能としては不都合と感じられますが、例えば人が上がったり下がったりは何か都市にゆったりとした風情を創りだすものです。今回この計画を進めるにあたり水路周辺にそんな丘陵地を復活させそこに風情ある都市機能と緑、自然を融合させたデザインを取り入れられないかと考えています。丘陵地の広大な緑エリアは日本の田園や畑の風景を取り入れるだけではなく、新しい都市機能を持たせるため、外部からのクルマを受け入れる巨大な駐車場、暮らしの基盤となる連結集合住宅、商業施設、ビジネスオフィスを丘陵地の起伏に合わせるように一体化したデザインを想定しています。





『水と回廊で囲まれた美しい街』

このスローガン、実は現在東京都が表明しているマスタープランのものですが、偶然にも我々が進めているプロジェクトはこのコンセプトに合致します。我々の提示している提案は単なるいちアイディアです。多くの思いが最終的には何かを動かしていくと信じています。「22世紀の東京をデザインしよう」─この壮大なプロジェクトは、「地球は日本はそして東京は決して今生きている我々のものではない」。これから生まれてくる子どもたちに一体どんな東京を提供しなければいけないのでしょうか? そんな視点でデザインしていきたいと思っています。ぜひ多くのクリエイターに参加してもらいたい、そしてこんな動きがいろいろなところからメッセージされたらと思っています。


都会の中の文化性|リバーサイドアート構想

とりわけ、復活する神田川や水路沿いは、皇居からの緑とともに積極的に生態を伴う緑化を進める構想です。例えばフランス、パリの都市緑化計画は、セーヌ川沿いの緑が基本になっています。セーヌ川沿いは、緑を構成するほか、河川ビーチなどいろいろなアイデアが具現化されています。セーヌ川にはフランス的な文化のDANが収められるように、神田川には日本なりの文化のDNAの入れ込みが大切になるのです。川沿いには日本の文化を象徴する田園や畑を配するなど景観としての美しさはもとより、さまざまな緑の生態を取り戻すコンセプトを取り入れたいのです。一方、川沿いには、緑だけでなく、文化の香りを漂わせるアイデアもあります。例えば、イタリアのベニスのリバーサイドスタジオです。ベニスのリバーサイドには、数多くのスタジオやアトリエがあり、クリエイターが集まっています。クリエイターはその環境下で、創作活動に励み、街の文化の創造や継承に役立っています。日本の風情ある環境の中にアートシーンを持ち込むことで東京のクリエイティビティを高める発想です。文化の創造や継承には、クリエイターの力が必要です。このような発想を東京の真ん中に提供できる環境を設定したいのです。




Nature Project|都会の中の自然教育

エネルギー改革を余儀させられている日本にとって最も大切なことは、人の『自然』への敬意とその学習にあります。自然エネルギーの原理とはその本質には大宇宙や地球、そして自然の中で育まれる生態の基本的な仕組みの中に依存します。そしてなぜ人は人として共に生きているかといった自然との関連の中に見いださなければいけない哲学や思想がとても重要な意味を持ってきます。それは言い換えれば教育と学びの姿勢です。このような謙虚な姿勢がなければ、それメガソーラーだEVだと言ったところでまた更なる問題をすぐに持ち込むことになります。それだけに暮らしの中に,自然に対する敬意と謙虚な姿勢でエネルギーのこと日常の暮らしのことを考えなければいけない。私たちのかかげる暮らしには無理や行き過ぎた体系はもう必要ないのです。



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